骨董品の中で、気になるものに「お歯黒道具」というものがあります。

お碗と壺のような入れ物のこのセット、最初は何か分かりませんでした。
江戸時代の女性は、結婚すると歯を黒く染め、既婚であることを示したそうです。
他の男性が寄ってこないようにする、ということでしょう。
当時の感覚は分かりませんが、少なくとも現代では近寄りがたいですね…(護身術とかに使えそうです)。
浮世絵などの女性は、おちょぼ口に描かれているので、意識したことはありませんが、
口の中が黒いものも多いんでしょうね。
当時は眉剃りというものも行なわれていたそうで、眉毛がなくて歯が黒いなんて、
現代では想像し難いですが(笑)当時の旦那様はどんな心境だったのでしょうか…。

髪型にも、元禄島田髷、おすべらかし、勝山髷など、実に多様で(今で言う○○巻き、ボブの
ような感覚なのかなぁ)女性の美容の歴史に関しては、なかなか調べがいがありそうです。

古くからある蔵から、お歯黒道具、化粧用具、化粧鏡、象牙のくしなど、女性の美に関する
ものがあればぜひ当店の無料査定・買取に出してみて下さいね!

これなんだろう…

そんなものが、意外とお宝だったりするのです★

絵画の鑑賞が趣味で、家にたくさんの名画が部屋に飾られている。
そんな方も中にはいると思います。

名画となると、それ相応の値段がしますから、
金持ちでないと、なかなか楽しめない趣味ですよね?

こういった贅沢な趣味で楽しむというのは、
一般人にとっては、憧れの一つでしょうね。

私はある絵画を買取店まで持っていって、
そこで引き取ってもらい、現金をゲットした事があります。

私が持っていた絵画は知人からもらったものでしたが、
不要になったので、買取店で処分してもらおうと思ったのです。

処分に当たり、私はまず店を決める必要がありました。

インターネットで検索すると、絵画の買取をやっている店は、
腐るほどあったので、最初、見たときは正直に言って、驚きました。

こんなにたくさんある店の中から、
一つを選ぶ作業を考えると、面倒だなとも感じました。

しかし、売る店を決めないといけなかったので、
私は色々なお店のサイトを見て回りました。

そして、最終的に、ある一つの店に決めたのです。

店を選ぶのに、苦労しましたが、
かなりいい値段で絵画が売れたので、良かったです。

茶道具の一つである花入は、気をつけないと、
うっかり割ってしまう可能性があります。

骨董品の場合、もし割ってしまったら、
とても悲しい気持ちになるでしょう。

ですから、その扱いには気をつけないといけません。

私は以前、なかなかいい花入を持っていたのですが、
うっかり割ってしまった事があります。

その時は、本当にブルーになりました。
なんか心まで崩壊しそうな気分でした。

悲しんでいても仕方がない!
前向きに考えていこう!

そう思い、私は新しく花入を購入する事に決めました。
しかし、金がないという事に気が付きました。

どうしようか考えてみました。
ボーナスが会社から支給されるまで待とうかと思いました。

ボーナスが出れば、その金で買える!

ただ、かなり待たないといけません。

私は待ち切れない思いから、茶道具を何か買取してもらい、
金を作る事にしました。

幸い、あまり使っていない物が数点ありました。
これなら売っても差し支えないと感じました。

そこで、それをある専門店に依頼して出張買取してもらいました。
そして、手にした現金で花入を購入しました。

中国から伝わった山水画を日本独自の文学とした雪舟は画家としては遅咲きだった。
そもそも雪舟は、涙でネズミの絵を書いたという逸話が残っているように、絵は相当上手かったと言われている。
雪舟は京都の相国寺で山水画の勉強を始めるのだが、全国各地からライバルが集まって来ているので、その中で雪舟はずば抜けて上手いとは言えなかった。
その上、京都の都では権力争いが始まったので雪舟は京都を離れることを余儀なくされた。

次に雪舟が身を寄せたのは山口・大内氏。
都から下ってきた雪舟は大内氏にとって便利な人物だった。
当時、明との貿易が盛んだったため雪舟の書いた山水画は大変重宝され、また仕事もこなすのでお気に入りの人物になった。
そして雪舟に転機が訪れる。
大内氏の派遣する遣明船に乗れ、中国に渡れるというのだ。
これは願ってもいないチャンスである。
この時、雪舟は48才だった。

中国から戻ってきて、遅咲き(50才を過ぎてから)らしく、作品を書くために全国行脚の旅に出る。
そして旅先で仕上げた「破墨山水図」でやっと中国を超えたと高らかに宣言する。

何が言いたいかというと、雪舟は作品のうち6点が国宝に指定されている。
もし未発表の雪舟の作品を見つけたのなら、高価買取は間違い無し。
そのような日本画の買取額ってどのくらいのもなのか、
いささか興味が湧くというものである。